「職場の人のあの一言に救われました!」
Vol.2
創刊1号 2007-08-31
「職場の人のあの一言に救われました!」のトピック、2回めとなります。
異動や組織変更、または独立など、新しい環境で、新しい仕事に取り組むことも、働き続ける中では起こる出来事です。
今回は、新しい環境に立ったとき、新しい仕事をスタートした場面での一言です。
「生理休暇は自分のためだけでなく、後輩のためにもなるべく取った方がいいよ」
(入社2年目の女性の先輩から)
入社直後、2年目の先輩から引き継ぎを受けていたとき。新社会人としてバリバリ働かねばと意気込んでいたので、「えーっ」というか、生理がひどくなかったこともあり、そのときは、「会社ってそんなもんなんかなあ?」と思った程度だった。
でも、数年後に自分が出産し、育児休暇制度などに直面したとき、歴代の先輩たちが会社と交渉しながら少しでも使いやすい制度にしてきてくれたこを、とてもありがたく感じた。職場に迷惑をかけたくないと、早めに育休を切り上げる人も多いと思うが、私は制度をめいっぱい活用(約2年)した。制度以外にも、夜勤のローテーションに何回入るかなど、自分の働き方が前例として残ることも少なくないだけに、”頑張り過ぎないロールモデル”を目指している。入社2年目であんな言葉が言えた先輩ってすごい、としみじみ感じる。
(みーあきゃっと・38歳・マスコミ勤務)
「見ている人は見ているから」
(上司から)
育児休暇を追えて、職場に復帰したとき。他の上司からは「仕事を辞めて、家庭に入ったら」と言われ、フレックス制度も使っていて、周りの人に少し気兼ねをしていました。
子供を持っていても、仕事をきちんとこなしていれば、必ず評価されると思いました。また、応援してくれる人もいることがわかり、その人のためにも、自分が一生懸命仕事をして、これに応えようと思いました。子供の急な病気休暇に対して、周りの人に迷惑をかけないよう、全て前倒しに仕事を取り組むようにしました。後ろ指をさされることのないよう、真摯に仕事をしています。
(あつべえ・41歳・営業事務)
「よかったな。自分で選んだら絶対やらない仕事や。これでまたひとつキャリアが増えるぞ」
(前部署の上司から)
前職で絶対やらないと決めていた、というか、勝手に適性がないと自分で決めつけていた仕事を、突然新しい職場でやるはめになり、方向性を見失い動揺していました。
本当にキャリアになるのか、疑問に思いながらその仕事を引き受けました。しかし、結果的にはそれがその後の資格取得から、後輩指導、仕事の幅の拡大へと、影響を与えることになりました。大きな転機になったことは間違いありません。
(ブラック・45歳・役員秘書)
「この仕事は会社の中で、○○さん(私)にしかできない仕事だから、頑張ってほしい」
(同僚から)
前の営業事務でのこと。得意先は官庁が多く、初めての経験で分からないことばかりで、入社してしばらくは覚えるのが大変でした。しかも、20年以上もやっていたベテランの前任者との引継ぎは10日ほど。その後は自力でやらなくてはならず、最初、大変なプレッシャーもありました。提出書類が煩雑で、年に1回特別な申請もあるなど、引き継ぎのときにじっくり教わったものの、実際やると難しかったです。他の部署の分も、前任者が同じだったことで、実際の仕事量は2倍に。また、申請システムがインターネットを使ってやれる移行時期と重なるなど、ますます悪戦苦闘の日々。しかし、他にできる人は社内におらず、先輩にあたる同僚によく愚痴をこぼしていました。そんな時の一言です。
この仕事をこなせるのは自分しかいないということは、逆に言えば、私にとって売りになることに気づいたのです。そう考えると、どんなに大変なことでもやる値打ちがあると思い直し、結局やり通すことができました。この同僚には心から感謝しています。
(アンジー・52歳・印刷会社事務職)
「まずは自分でやってみることが第一!何も着手しないで不平不満だけを言うのはどうかと思う。やってみて本当にダメだと実感してから不満を言っても遅くはない!」
(先輩から)
入社して1年後、上司からプラスαの新作業を言われました。最初からこなせそうにないと思い込み、頭・体が自然に拒否反応を示して、作業はなかなか進みません。膨大な作業が山になって囲み、ため息と不満顔がつい態度に出てしまう。そんな時にいつも助けてくれる先輩から、意外にもキツイ口調で釘を刺されました。優しい先輩が鬼のように見えましたが、その言葉を信じ、まずは不平を言わず作業を着手。やりこなせた達成感が大きな自信につながることが、後でわかりました。
今ではその言葉はピンチの時に自分を救ってくれる教訓です。それ以来、苦手な作業やイヤな仕事に直面しても、まずはぶつかって挑戦してみようという姿勢が弱腰ながらも長年をかけて備わってきたかな。突き放すようなキツイ口調で言ってもらえた事に感謝です。
昔の自分のような若い後輩の姿を見ると、その言葉が頭をよぎり、つい言ってみることもありますが、十人十色、全ての人に当てはまるとは限らず、これで失敗も経験しました。
40歳を過ぎた頃から余裕がない場面に直面すると、なかなかすぐには向き合えない弱い心が出てきます。20年経った今も、その言葉は死語でなく、私の修行として影響を与え続けています。
(ナナぽん・42歳・事務員)
「好きなようにやってくれたらいいですよ!みんな”頼り”にしていますよ。ま、いざとなれば私が辞表を書きゃいいことだから・・・」
(管理職の上司から)
新しい職場に異動になり、今までと全く違った職場環境で戸惑ったときに。「太っ腹だなあ」という思いと同時に「ほんまかいな?」と感じた。でもその人柄が感じられ、何となくこんな感じで付き合っていけばいいのか、という”感触”を得た。
自分で仕事を構築していかなければならない、という思いと、やっぱりある程度は自分で責任を取らなくちゃと感じた。管理職に関しては「何だかなあ」と思うところもあるが、こちらが体当たりで”懐”に入っていくとしっかり向き合ってくれることは最初の印象と変わらず、今も続いている。
(ぷちいぐどん・51歳・健康管理関係)
「しばらくは与えられた仕事を確実にすれば良い」
(元直属の上司から)
新しい部署に異動になったときのこと。異動になるのを知らされたが1週間前で、一から業務を習得していくのに、不安を覚えたし、なぜ私が!と言う思いで、精神的に揺れ動いていた。その部署で仕事を教わるのが、後輩だったこともあり、やっていけるかどうかが不安だった。
掛けてもらった言葉で、しばらくは淡々と業務を遂行すればいいんだ、と感じ、精神的に楽になった。仕事で壁にぶち当たった時に、淡々と仕事をするということで、壁をぶち破ったことがそれ以降もある。
(ハニー・45歳・営業事務)
「○○さん(私)と一番一緒に仕事がしたい!」
(複数の後輩から)
つい最近のことです。希望した部署に異動したばかりのとき、後輩同士が「誰と一番、一緒に仕事をしたい?」という話になったらしく、私の名前が数人から挙がったと聞きました。
仕事がしたいと思われるのは、それなりに私の仕事ぶりの良い面を吸収したいということなのかな、と思うことができて、自信になりました。
(すなお・34歳・総合職)
「君のこれからの新しい人生を、街のどこかで見てくれている天使がいるよ」
(同僚から)
5年間の会社員生活を辞めて、独立しようとしたとき、人生の大きなターニングポイントでした。無防備な独立を目指していて、何とかなるさ、という気持ちと、この組織を離れられるという開放感などの一方で、新聞社をやめることで書く場となる媒体を失う不安、経済的なことなど、不安も抱えている状況でした。
残った会社の荷物を運ぶ車の中で、会社員として最後に見た映画、”ベルリン・天使の詩”(ヴィム・ベンダース監督)の話をしたときに、この映画になぞらえて言ってくれた言葉です。少し泣きました。不安だった心が少し温かくなるのと同時に、独立するということは、同僚と別れることなのだと、知ったので。
何かを始めるときには、何かを失うことがあるかもしれないこと、それでも踏み出さないといけないことが人生にはあること。何かから自由になりたいと思っても、それはもっと大きな不自由に隷属するかもしれないといということ、だから自分がどんな生き方、働き方をしようとしているのか、常に自分の足もとと未来を見つめなければいけないことを知りました。常に複眼を持って臨め、というスタンスが身につきました。自分にストンと落ちてくる言葉を意外な人が、意外な表現で話してくれるのがとてもおもしろかったです。
人生ってすばらしいなあ、と前向きになれたし、周囲の人に感謝するようになりました。
(お園・46歳・文筆業)
新しい仕事や局面には、不安がつきものです。その不安が仕事にブレーキをかけてしまうことも。そんな時に、職場の人の一言や辛辣な意見が勇気を与え、気づかせてくれることが少なくありません。勇気を出して「えいやっ!」と乗り越えたら、新しい働き方や視点が生まれてきます。
<次回に続く>